周囲が光GENJIに熱狂していた中学時代、私はジャッキー・チェンやその周辺の香港カンフー映画に陶酔していました。
いまはね、ジャッキーに関してはいろいろ言われているけどね日本人界隈では。
そのことはここでは一旦忘れて、とにかく当時の私のヒーローはジャッキー、ユンピョウ、サモハン、そして霊幻道士。
サッカーに全く興味がなかったのに、香港明星というジャッキーが率いるサッカーチームVSたけし軍団のサッカーの試合見に行ったくらい、ガチのジャッキーファンでした。
せっかくジャッキーの缶バッジとかのジャッキーグッズを総動員して観戦しにいった香港明星VSたけし軍団の試合は、遠すぎて誰が誰だかよくわからず、あいにくの大雨で寒くて、ずぶぬれになって体の芯から冷え切って、ボロボロになって家路につきました。
あまりの寒さに一緒に行った友達は風邪でダウン。
翌日、ジャッキーが新作映画日本公開で舞台あいさつがあったので、私はサッカー観戦の過労を乗り越えて見に行きました。
そこでなんとジャッキーと握手!
それだけで十分な体験なんだけど、のちに大人になってから、タイ外国人特派員クラブの会員だった時に、記者クラブでジャッキーとディナーという催しがあって、そこでもお目にかかることができました。
一緒のテーブルに座れたわけではなかったんだけど、ジャッキーがステージに上がってお話しする時間になったとき、記者クラブのお偉いさんが私のところにやってきて、「今ジャッキー壇上だからジャッキーの席あいてるから、そこ座ったら?」と、ジャッキーが座っていた席になぜか座らせてくれたんです。
きゃー好きな人の席座っちゃったーって中学生みたいなノリですが、私にとっては貴重な体験でございます。
そして闇より深いキョンシー愛。
中学校の美術で、図形を組み合わせて幾何学模様を描き、色の組み合わせや配置を考える課題がありました。
今はデジタルでやるみたいだけど、当時はポスターカラーで色を塗ってました。
みんなが幾何学模様や抽象的なデザインを描いている中、私は最初のうちこそ定規で線を引いて幾何学模様を描いていたんだけど、途中でなぜか気が変わって全部塗りつぶして、顔の腐敗具合まで綿密に描写したキョンシーの肖像画を制作。
しかも先生が感心してくれてその作品は展覧会に展示してもらえた。
ポスターカラーで描いてあればオーケーってことになったみたいなんだけど、今思うと、なかなか懐の深い先生だったな。
さらに、家庭科の授業で15センチほどのキョンシーのマスコットをフェルトで手縫いで作って、それを制服の胸ポケットに、あの「キョンシー状態になっている手」から上の半身を出した状態で差し込み、胸ポケットから手作りキョンシーを生やして街を闊歩。
お店でかがんだ拍子にキョンシー落っこちて、わー私のキョンシー注目浴びてる!って内心得意になってたけど、今考えてみるとお店の人は目が点だったと思う。
しまいには、「私が死んだらキョンシーの服着せて埋葬してね」と本気で親に頼んで本気で怒られた。
さて、ロードショーやスクリーンなどの映画雑誌が盛況だった当時、ジャッキー関連は男子相手のほうが盛り上がりがちでしたが、ありがたいことにジャッキー大好き女子が同じクラスや学年に4人ほどいて、ジャッキーファン仲良しグループで楽しい青春を送ることができました。
今は存在しないと思うけど、ありとあらゆる映画のチラシとパンフレットだけを売っているお店が当時近所にあって、そこに通いつめてカンフー映画系のチラシを大量に購入したり、ロードショーやスクリーン回し読みしたり、もちろん一緒に映画見たり。
高校に入ってからは同じ熱量でジャッキー談議ができる友達はいなくなってしまったけど、私のカンフー愛を炸裂させる機会に恵まれたことがありました。
体育のダンスの授業でグループに分かれて創作ダンスを発表するという課題がありました。
私は独断と偏見で『拳精』というジャッキー映画の中でもかなりマイナーな映画のテーマソング「China Girl」というマニアックな曲を選んで、一緒のグループの子たちにもちかけてみた。
曲聞いて最初はびっくりしておまけに笑ってたけど、笑いながらも賛成してもらえたので、その摩訶不思議な音楽に合わせて、実際に二人ペアになって戦う動きを取り入れた作品を私が先頭に立って作り上げました。
あのとき私と一緒のグループだったみんな、ジャッキーともカンフーとも縁もゆかりもなかったのに、よく付き合ってくれたもんです。
ありがたい話です。
このことからもわかるように私の場合、ジャッキーに会いたいとかもちろんあったけど、どちらかというと、あのように動けるようになりたかった。
強くなりたいんじゃなくて、あの芸術的な動きができるようになりたい。
私の目にうつるカンフーの動きは舞踏と同じ位置にある芸術であり、私自身その動きができるようになりたかった。
だからカンフーか少林寺習いたい、と意を決して親に言っこともありました。
そしたら「極真空手で黒帯とったら夜遊びしていいよ」と父に諭されて、自分が何をしたいのか本質を見失ったまま極真空手始めてしまって、ロシア人のムエタイボクサーとスパーリングやってえらい目にあってやめてしまった。
私がやりたかったのは強くなるための武道ではなく、美しい動きをマスターしたかっただけなんだけど、父の親心で極真になっちゃったのね。
極真でも演武系なんか得意だったし、武術太極拳あたりだったら好きこそものの上手慣れで結構その道で行けたかもしれないのに、と今更思う。
そしてマーシャルアーツ好きなはずなのに、当時流行っていたK1にはいまいちハマらなかったのは、好きだったのは強さではなく視覚的な動きの美しさだったからなんだな、と今は思う。
もちろん、強い人って動きが美しいですよ。
正しいフォームと攻撃力は比例すると思うし。
でもどうしてもリング上の本気の戦いは、美しいさまが見れるのは会心の一撃の一瞬だったりで、残りは気迫と緊張の世界だもんね。
ゼノサワがムエタイやってからプロのムエタイの試合を生で見る機会にも恵まれて、その迫力はそれでものすごく魅力的ですが、私にとって自分がそこに入って一部になりたい世界ではない。
ではキョンシーになりたかったのか、というとそれともちょっと違くて、霊幻道士の世界そのものの中に存在したかったんだと思う。
道士様が札や剣や道具を取り出して準備を始めると、一つ一つの動作にシンクロするようにカメラが切り替わる。
その一連のリズム感がたまらなく好きだった。
ストーリーそのものよりも、あの衣装や小道具、道士様の所作、独特のカメラワークまで含めた、ああいう視覚的な世界観に夢中になっていたのかもしれない。
大学に入ったら今度は、小さい時から好きだったマイケル・ジャクソンで話が合うお友達に巡り合えて、こんどはマイケル・ジャクソンで話に花が咲く毎日。
ここでもやっぱり、Smooth Criminalの後ろで踊るダンサーたちの一人になりたかった。
結局小さいころから、私は動きの美しさにひかれ、その世界の住人になりたかったんだと思う。
そのあとサルサやラテンダンスにはまって、これはもうその美しい動きをそのまま自分で再現できるわけだから、それはそれは熱心に練習を重ねて、一時期はその道で生きていこうと思ったくらい熱中していました。
しかしどうしても男性側のステップが覚えられない。
その道で生きてく、つまり教える側になるとしたら男性側のステップ覚えてリードできるようにならないとだめなんです。
今考えるともしかしたら、男性側の動きは私が表現したい動きじゃなかったから覚える気になれなかったのかもしれない。
まあそれ以前に、情熱はあっても才能がなくてあきらめました。
振り返ってみると、私の中ではキョンシーもマイケル・ジャクソンも同じ場所に並んでいる。
そして最近になって、耳で楽しんでいたつもりだったものさえ、実は視覚で魅了されていたことに気づきました。


