私には一時期、「日本の音楽雑誌のタイ特派員」という肩書きがありました。
タイのアーティストにインタビューしたり、エンターテイメント関連の記事を寄稿するのが仕事でした。
基本は生演奏があるお店に行ってアーティストに取材させてもらう形でネタを発掘。
タイって生演奏が入っているお店が日本に比べてすごい多いんです。
なので適当にお店入って「日本の音楽雑誌の取材でーす」とか言って取材させてもらって、とりあえず日本人が来たってことだけでも喜んでもらえて、そこから他のアーティスト紹介してもらったりして、どんどん知り合いが増えていきました。
そんな風に仲良くなった、最初は全く無名だったアーティストが、あれよあれよという間に有名になったりして、いつの間にか回りが有名人だらけに。
バンコクは狭いので、エンタメ系統の場所に行けば必ず知っている人、そして私を知ってくれている人に遭遇するようになりました。
おまけに、その頃私はタイのグラミーレコードで映画の記者会見やテレビでの通訳もやっていたので、その有名になった人たちに「おまえ昨日テレビに映ってんの見たぞ」なんて言われた日には、なんだか自分もセレブの仲間入りした気分。
いや全然違うんですけど。
でもまあその延長線でタイの外国人特派員クラブの会員になったり、相乗効果でどんどん世界が広がってとっても楽しかった。
とにかくそんなふうに「音楽雑誌の特派員」という肩書きを振りかざして音楽通を気取っていたわけです。
が、実は私音楽に全然詳しくない。
もちろん全く興味がないわけではなく、思春期にはユーミンや竹内まりや、ドリカムなんかのCD買いあさりましたし、タイに住むようになってからはクラブ音楽から始まって、シンガポール発のMTVアジアが大好きで洋楽もよく聞いていました。
中学までは合唱祭のピアノの伴奏は大澤さん、と決まってたし、学年代表で卒業式で弾いてたし、進路を決めるときにわずかですが音大も視野に入っていたくらい、多少は音楽自体に関しての自信はありました。
そして前述の「特派員」時代に生の演奏を聴きまくったおかげでそれなりに耳が肥えて、上手かそうじゃないかの聞き分けまでそこそこできるようになっていた。
実際、お、こいついいじゃん、と思った人たちはメジャーデビューして有名になっていきましたよ。
が、「詳しい」かどうかで言ったら、当時でいうと部屋が音楽CDで埋まっているような人とか、常にイヤホンで音楽聞いている人とか、そういう人たちには足元にも及ばないし、全人口の下から数えたほうが早い位置にいると思う。
よく考えてみると、思春期の恋愛ラブソングは別として、それ以降に聞いていた音楽は、クラブ音楽は踊るための音楽、MTVは見る音楽、そして生演奏も見る音楽。
MTVアジアなんて一曲一曲のMVがどうのというより、番組全体が醸し出すかっこよさにあこがれていて、特に多言語をあやつるMJのみなさんのほうが音楽自体よりも印象に残っている。
自称音楽ジャーナリストになるきっかけとなった生演奏巡りは、自分が中途半端に演奏できることもあって、すごい演奏している人の技術を、生で「聞く」というより「見る」のが楽しかった。
あと、タイにはアメリカのジャズやブルースの歴史を感じさせるような、木を基調とした内装に落ち着いた照明で、生演奏の入る店がよくあって、そういうお店って、タイにありがちなんだけど冷房が必要以上に効いていて寒いくらいだったりするの。
だから屋台が並び、バイクが行き交う蒸し暑い外からドアを開けて入ると、一気に身体が冷えて、落ち着いた色合いの店内に包まれる。
その瞬間、外とは違う空間に入ったことを実感する。
演奏している人たちはもちろん、内装や照明、お客さんやスタッフも、冷房の冷たさも、たばこの煙さえ全部ひっくるめてその空間が好きだった。
私にとって音楽は、分析する対象ではなく、空間を構成するもの。
曲名も歌手名も曲の背景もいらないし、知識を蓄積したいとも思わない。
演者がいて、そこにしかない空気感があって、その音楽が流れている空間に自分も一部となって存在している。
クラブなら照明や人の動きも含めた空間、MTVなら番組全体が作り出す空間、生演奏なら演奏している人間や店の空気も含めた空間として受け取っていたんだと思います。
大好きな映画に「ブルース・ブラザーズ」があるんだけど、あれも超一流のアーティストぞろいでもちろん音楽自体とんでもなく素晴らしい、だけど私がもっとぞくぞくしたのは、アレサ・フランクリンがバックダンサーのおねえさん(おばちゃん?)や従業員のサックスプレーヤーたちと踊りながら歌う光景、レイ・チャールズのシーンの屋外大群舞、ジェームス・ブラウン教会のシーンも踊り狂う人たちの身体能力の高さにしびれていたわけです。
自称音楽ジャーナリストだったけど、実は音よりも視覚から入ってくる芸術や、そこに広がる空間に魅了されていたらしい。
うちの父はその昔名を馳せた漫画家ですが、残念ながらその才能は私には受け継がれず、私は絵がとてもヘタです。
才能がある人間が身近にいてその技を目の当たりにしている分、自分の才能のなさを痛感していたし、たまたま小さいころから習わせてもらって人から注目されていたのがピアノだったのもあって、自分としては絵関連より音楽関連のもののほうが得意なつもりでいました。
だけど、確かに描く才能はないけど、自分が音楽をどう楽しんできたのか考えてみると、もしかして私って実は父のDNAちゃんと受け継いでいて、視覚のほうが優位なんじゃないの?と思い始めた。
ブルース・ブラザーズで考えると、何度も鑑賞して脳に焼き付いた映像が音を聞いただけで脳内に再生されるようになり、CDかけると脳内映像とセットで楽しめるようになる。
そこまでくるともう実際の映像はいらなくて、音楽だけでも延々と聞いているくらい楽しめるようになる。
それはもう血が湧き立つほどに。
反対に、同じアーティストの曲でも、映像がついてこない音楽にはそこまで情熱が湧いてこない。
例えば、アレサ・フランクリン。
映画『ブルース・ブラザーズ』の中でも特にアレサ・フランクリンのシーンが好きで、ジャッキーと同じように動きたかった件と同様に、彼女のように「Think」を歌いたい、と切実に思うようになって、ボーカルスクールにそのためだけに通ったことがある。
他の目的で貯めていたアルバイト代全財産はたいてボーカルスクールにつぎ込むほどの熱の入れようでした。
歌に関しては絵を描くことに輪をかけて壊滅的な才能だったので、目標達成からは程遠く、バイト代が溶けただけで終わりましたが、それくらい好きだったアレサ・フランクリン。
と思っていたんだけど実は違ったらしい。
アレサ・フランクリンのアルバム買ったときに判明したんだけど、好きだったのはアレサ・フランクリンじゃなくて、ブルース・ブラザーズという映画の中でアレサ・フランクリンが歌っている「Think」だったらしい。
ブルース・ブラザーズの世界観の中に音楽があって、登場人物がいて、その場の空気がある映像とセットだったからこそ、バイト代溶けるくらい好きだったわけです。
一方で、アルバムの曲には、私の中ではその曲と結びついた映像がない。
なので大好きだったはずのアレサ・フランクリンのアルバムなのに、刺さることなく一回聞いただけであとは棚の飾りになっていた。
といった具合に過去を掘り起こしてみると、ほかにも「もしかしてこれも視覚優位のせい?」と思い当たることがたくさん出てきます。
今まさに私が無駄に時間を溶かしている作業も、視覚優位のこだわりがなせる業。
このサイト運営、記事を書くことそっちのけで、CSSいじって1px単位でサイドバーの枠の幅調整することに精を出しているのです。


